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美馬市の皆様にお支えいただき30年
健祥会ヘルスで感謝も新たに開所記念行事
高齢化の進展する地域の未来を案じ、人と人とのつながりに支えられた本物の福祉を構築しようとスタートした健祥会グループの高齢者福祉。老人保健施設健祥会ヘルスはその6番目の施設として1992年、美馬市に誕生し、皆様に厚くお支えいただきながら、今年、30周年の節目を迎えました。地域の皆様、行政関係者様、本当にありがとうございます。皆様への言葉に尽くせぬ感謝の気持ちをカタチにしたいところですが、新型コロナウイルス感染症がまだまだ収束をみないことから華やかな記念式典は自粛し、利用者様と職員で心を込めて30周年を祝いました。
「舞踏会 -健祥会のうた-」の流れる中、始まった式典。冒頭、健祥会グループ常務理事中村晃子がご挨拶申し上げました。
健祥会グループ常務理事中村晃子 挨拶(要約・抜粋)
老人保健施設健祥会ヘルスが開所したのは、1992年、平成4年です。これに先立つ2年前、グループ創始者中村博彦は徳島県議会議員を辞して衆議院議員選挙に挑戦し、敗れています。3度目の挑戦、そして敗北。普通なら意気消沈するところでしょうが、創始者は、この敗北は「福祉の道を突っ走れ」という天の声だとしてヘルスを構想したのです。選挙によっていただいたご縁を礎に、落成式には1500人を超える方々にご臨席をいただいてのスタートでした。創始者の草の根魂が宿る施設であり、「健康こそ何ものにも代えがたい大切な財産。地域のご高齢者の皆様方に、いつまでも元気に過ごしていただきたい」との願いを込めてヘルスと名付けました。
当時は「人生90年」と言われていた時代です。創始者は「社会が活力にあふれるためには、高齢者が社会の一員として地域の活力の担い手とならねばならない。高齢者が健康な心身を維持しつつ、長い人生の中で培ってきた知識や技術を生かすことのできる社会環境づくりに取り組むことが大切」と考え、高齢青年という新しい高齢者像を提唱。施設での介護はもちろん、地域において在宅生活をされている方にもできるだけ健康で長生きしていただけるよう、グループ内連携にも、様々な地域内連携にも力を注いできました。
ヘルスには地域の皆様方、利用者様方との交流の場となっている庭があります。「日新の庭」といいます。地元穴吹高等学校校歌の「ああ、日に新た、日に新た」というフレーズから、創始者が命名したものです。「今日は昨日より新しく、よくなる。また、明日も今日より新しく、よくなる」そんな意味です。コロナと共生して生きる時代にあって、皆様方にとってよりよいサービスとは何なのか、必要なサービスとは何なのかを考えながら、「日に新た」で一歩ずつ前進してまいりたいと、職員一同心に誓っております。
30周年の節目に、これまでお支えをいただきました皆様方に改めて感謝申し上げ、10年先20年先も、「ヘルスがこの地域にあってよかった、安心だ」とおっしゃっていただけるよう、力を尽くしてまいります。これからも末永くご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げ、心からの感謝のご挨拶といたします。本日は誠にありがとうございました。
その後、会場に掲示されたメモリアル年表に沿って施設長が30年の歩みを振り返りました。この間ご利用くださった方は、入所とショートステイ合わせて100万人を超え、通所リハビリテーションでは23万人を超えていることを報告し、「いただいた大きな信頼を損なうことのないよう『いつも笑顔で元気を』のキャッチフレーズのもと、『選ばない断らない諦めない介護』と『働きがいのある職場づくり』に努めてまいりたい」と語りました。
また隣接する介護予防健康増進施設インディペンデント美馬が、コロナの影響により昨年度末で休止となったことについて、「12年あまりの間、1年に2500人もの方にご利用いただいていた施設であり、非常に残念」として、「何らかのカタチで、また喜んでいただけるサービスを考えたい」との想いを伝えました。
セレモニーの最後には職員手作りのくす玉が勢いよく開かれ、30周年を寿ぎました。
引き続き合同敬老会を開催。フロアごとにお祝い膳を召し上がっていただきながら、数々の思い出を綴ったスライドショーが披露されました。
「日新の庭」には、利用者様と職員の手で記念植樹されたハナミズキの葉が揺れています。次なる10年、20年に向かって、この樹とともに施設も職員も逞しく成長をつづけていきたいと思います。
健康づくりと自立への意思を持ち、笑顔と元気のあふれる美馬市でありますように!
これからも健祥会ヘルスと健祥会グループに変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
[記事公開日]2022/09/29(木)
[最終更新日]2022/09/30(金)